日吉町【 ひよしちょうみんのこえ 】:京都府船井郡日吉町の住民の、住民による住民のためのサイト。府のほぼ中心に位置する山間の町、豊かな自然に囲まれた6千人ほどの小さな町の、声なき声を集約するサイトです。より住み良い町、より住民にやさしい町、住民を真ん中に置いた町をめざして・・・・構成:編集及び管理は[ shiogai ]です。
「日吉町民の声」-2003・05・16発信
No.1 No.2 No.3 No.4
『町の職員・・・』(2005/11・21)・・・・・/塩貝文明(45)[町内]−
隣家の水道が破裂していた。下手にあるうちの田圃は田植えが出来るほど水浸し・・・かなり長い時間噴出していたのだろう。隣家は現在無人で、仕方なく私から町の役場へ連絡すると、「メーターの外側であれば町で対応します。内側ならそのお宅の方で直してもらいます。」とのこと。しかし、そんなことまで見ていないし、隣家とはいえ他人様のお宅をうろうろするのも何だか変だ、それにどうして私が・・・と思いながら、それでもまあ乗りかかった船かと思い、また隣家を見に行くと、途中の畑にいた父がその話を聞いて怒り出した―「対応が悪すぎる!!!」。

通報を受けたら先ず役場が現地を確認し、持ち主と連絡先の確認、被害の部位と程度を確認し・・・つまり、役場の中でふんぞり返って「メーターの外側であれば町で対応します。内側ならそのお宅の方で直してもらいます。」などと、通報者に対して逆に調査を命令するなど以ての外だと云うのだ。なるほどその通り。自分たちがそこに勤めているのは住民の暮らしを守るため。町を暮らし易い場所にするためのオタスケマンだということが解っていない。

いかに隣人とはいえ、無断で私が敷地内に入り込む権限は無い。それに連絡先を調べたり持ち主に知らせる義務も無い。善意でやったとしても、不審者扱いされれば誰が責任を取ってくれるのだろう。何の為の行政か? こんなものなら1月1日からといわず、今すぐに合併すれば良い。

『生産者米価崩壊の理由・・・』(2004/12・07)・・・・・/塩貝文明(44)[町内]−
近年、生産者米価が下落の傾向にありましたが、今年の政府の米買取価格はべらぼうに安く、急落というよりも崩壊と呼ぶべきものでした。その上、等級を付ける検査も、費用は生産者負担ということになりました。このまま放置すれば、米作りを止めてしまう農家が大幅に増加するでしょう。左の図は、なぜ今年、米が買い叩かれたのかを示したものです。

それは、政府が過年度米を“大量”に放出した為です。主に量販店に出回っているこれらの過年度米は、既に家畜飼料用と決まっていた2000年以前のものを、臭いを消すための薬品処理をして市場に出したものでした。これは、昨年の米の作柄が<95>と非常に悪く、今年の端境期7・8・9月頃品薄になるだろうということで、備蓄米を市場に出すことになったものですが、必要量を遥かに上回り、しかも安価なものでした。これによって、小売の米穀店では米が売れず、在庫が全く無くならない状態に陥り、新たに今年の新米を買うことが出来なかったのです。

当然、値崩れを起こします。しかも、家畜用にと決まっていたものの転用です。政府(食糧庁)は、家畜飼料用として売るよりは高値が付けられたでしょう。しかも、備蓄設備に掛かる費用も助かるはず。量販店も、安い米ということで大量に売り捌けたでしょう。しかし、半値に買い叩かれた生産者は、来年度の作付けさえ、まったく見通しのつかない状態です。<玄米価格30kg約1万円>というのが、農家が生産を続けていく為に政府も認めている最低水準です。したがって、このまま来年(2005)以降も米作りを続ければ、総て赤字になって跳ね返ってきます。そして後継者も出てこない。商いにならなかった小売も、店を閉める他に無いでしょう。しかも、消費者が掴まされた<安い米>は、家畜資料用です。国民は『家畜』ですか。事情を知らずに買った消費者からも「マズイ」と不評でした。国民の主食が、こういう形で運営されて良いものでしょうか?


もう一つ気になるのは、こういう事実を知りながら、全く動かない連中がいるということです。市民のため、町民のためにと「選挙」では謳いながら、真実を握りつぶし、合併論議ばかりにうつつをぬかす。確かに『合併』は大問題でしょう。しかし、自給率40%に届かない食糧生産体制を改善していくのは、二の次ぎにまわされるような問題ではありません。最近の農業政策には、農家から耕地を吐き出させ、大規模農業経営者へ淘汰させていく・・そんな動きを感じます。確かに生産コストを考えれば、それも一つの方法でしょう。しかし、自分の耕地で自分自身の手で生産するのと、たくさんの従業員を抱え込み、時給いくらのサラリーマンに食糧生産を任せるのでは、掛ける労力の質が違います。

かつて、社会主義体制を目指した国々では、個々の農民から土地を取り上げ、コルホーズ、ソホーズといった集団農業方式を進めたところがありました。しかし、結局、単位面積あたりの生産量は上がらず、政策の変更を余儀なくされていきました。同じことを、資本主義国が後からやろうとしている。しかも、現在の食糧生産者の首を真綿で絞めていくようなやり方です。一部の人間が、食の質、量、価格、収益を握る時代を、あなたは望みますか。政治家への献金はやり易いでしょうが、破綻したとき社会に与える影響も大きくなります。

『合併に思う・・・』(2004/12・05)・・・・・/塩貝文明(44)[町内]−
この問題が提起されて以来、合併に乗り遅れれば、予算が削られ、交付金が切り崩され、町財政が逼迫して大変なことになる・・・と、いろんなところで言われて参りましたが、事実は、必ずしもそうでない様です。今度の期限に遅れても、新特例法・・・と言うのがあって、ゆっくり考えても大丈夫なのだとか。

こんなこと、行政に携わっていればちゃ-んと判っているのでしょうが、役場の連中や議員たちは共産党を除いて誰も言わない。そこらへんがおかしいのです。本来公開すべき情報が、一部の人間だけで揉み消されてしまって、合併問題が右から左へとどんどん片付けられようとしている。

政府のほうも、あまりにも性急すぎて脅迫じみていることに批判も多く、しぶしぶ特例法を捻り出してきたのでしょうが、これを察知しながらもどんどん『合併問題』を推し進めている連中がいる。集会や消防や、人が集まるところでは「納得がいかないんだ、不承知なんだと」一般住民との一体感を装いながら、議会の中ではちゃ-んと推進派に加担している人もいるようで、「住民投票」を求める声が過半数を超えた地域の出身議員でも、住民投票に反対する方がいたり、いったい住民の要求をどれほどに感じているのだろうと言わざるを得ない。

こういう時こそ、本当に住民を大切に考えている議員と、誰かに牛耳られてグの音も出せない連中がよく判るものだ。一人一人の議員の発言を、誰か広報にしてくれないかなぁ。

『合併に思う・・・』(2004/12・01)・・・・・/塩貝文明(44)[町内]−
「合併問題は、住民投票ですっきりと決めましょう」という看板が立ち、さてこれからどうなるのだろうと期待を込めて眺めていたら、ようやくチラシが入り、知らぬ間に署名活動もされていたようで、ここに来てようやく反対派の主張が聞こえ始めた(少し遅い)。 そもそも、「なぜ合併しなければならないのか?」という根本的な部分がどこにも示されていない。そして、そそくさと進められているこの問題に対して、疑問を投げかける声は極めて多いのだ。

なぜ合併か。交付金の削減、打ち切りを楯に、国が推し進めているから仕方が無いんだと云うが、そこまで強引に市町村を合併させなければならない肝心の政府側の意図が、これほど時間が経過しても一向に見えてこない。−合併の目的、理由。結果『どういうことが現在よりも改善されていくのか』さえ示せない。そして、町民に対してこれら政策の本質を説き明かすべき町長・議員や町職員は、合併後の自分たちの身の振りかたばかりを模索する。

このままで良いのだろうか? ある町では、新市の中心地になるのだからと、せっせと市街地整備が進められているが、その恩恵を被るのは、其処に住む住民と請け負った業者だけといっても過言では無い。美山、日吉の奥から、整備された市街地を利用しに出て行く人間は多くない。しかし、これに掛る費用は、新市民全員の上に降り懸かる。そうなってから苦情を言っても遅いのだ。

一方で、湯水のように環境整備に予算を組まれるところがあるかと思えば、生活道路の橋が落ちても見捨てられているところが現在でも在る。拡大した新市のエリアをしっかりと把握し、住民に対して公平にサービスを提供できるシステムの構築や人材の育成は、果たして出来るのだろうか。


一般に人間一人一人の生活圏はそう広くはない。同じ市内でも、目の前の問題と山の向こうの出来事では感じる比重が違う。極端なことを言えば、先般の台風災害でも、東の端で土砂崩れがあっても西端の住民には殆ど関係がなく、目の前の街路樹一本が傾いたことの方が大きな話になってしまう。それが、住民の代弁者とも言うべき議員たちは、人口密度の高い方に偏ってしまうことで、自ずと復旧の優先順位は決まってくる。過疎地の住民がどれほど困っていても、人口の多いところが優先される。そんな例はこれまでに幾つもある。文句を言っても、「そんなところに住んでいる方が悪い」と一蹴される時代が来るかも知れない。

つまり自治体は、面積や人口の大きさでは無く、基本的に、多数住民の生活圏が重なっていることが大切なのだ。それでも山の向こうと合併が必要なら、生活に共通点が多く、同じような課題を持ち、同じような視点で語り合え、発展の為に互いに知恵を出し合える合併であるべき。隣近所にスーパーや駅があるところと、車で30分、1時間走らなければ医者にも診てもらえないところが一緒になって、話が合う筈が無い。それを、行政からの説明会は持っても形ばかりで、住民の意向は何も聞こうとしない。まるで為政者の特権であるかのような今の進め方は納得できかねる。もう少し住民と行政の意見交換によって不安を取り除きながら進められないものだろうか。

今回の『住民投票案』もその一つ。大上段に構えて否決しなくても、住民が何を思い、どこに不安を感じているのかを探る一つの手立てとして実施しても良かったのではないだろうか。もし、町長が言うように間接民主主義によって町政を運営しているのだからと、一切を議会と行政に任せなければならないのなら、前回の選挙の争点は果たして「合併」だったのだろうか。このことの是非を全面に出した選挙だったのだろうか? これを争点にした立候補者は何人居ただろう。それに、「町」という行政枠の中での諸問題に対して判断を委託しているのが、その「町」自体が消滅してしまう今回の問題についても当てはまるのだろうか。権限や判断を踏み越えてはいないだろうか。

住民投票を求める署名は、集められていることさえ知らない住民が多数(私も)を占める中、日吉町で約1、400人集まったそうだ。しかし、これを議会で賛成したのはたった2人。共産党の船越議員と前田議員だけだったという。一般住民が、自分たちの街づくりに加われない自治体など、無いほうが良い。

『一般には報道されませんが・・・』(2004/07・06)・・・・・/塩貝文明(43)[町内]−
例えば、沈みかかった船からこっそり逃げ出すやつを、あなたはリーダーとして認められますか? 情報を一番に受け取れる人間が、きな臭い運営と知って、この制度から真っ先に、しかもこっそりと抜け出していた。年金を支払っていない国会議員たちを、絶対に許してはいけない。
 例えば、仕組みのはざまに足を取られた方々は仕方ないかも知れない・・当選すれば「議員」、落ちれば「一市民」・・その都度仕組みが変わっていく年金制度に対応しなければならない。しかし、それでも一般国民はやっているのだ。リストラされて共済年金保険から国民年金に替わらされてもちゃんとやっている。社会保険庁の職員は、この『払わなくなった人たち』に、どんな対応をしてきたのだろう・・そちらのほうも随分気に掛かるが、こともあろうに「最初の頃は義務では無かったから良いんだ」と開き直る方に、お互いの老後の生活を守りあおうという精神で始まったこの制度を語る資格があるのだろうか・・否、それ以前に、公僕として、国民の生命、生活を守るべき国会議員として、基本的なものが欠けてしまっている。「泥舟」・・この国を泥舟に変えた人たち、ご自分の身の処し方も解らない方々を、あなた許すんですか?

・・・今年の通常国会(会期百五十日間)における議員の本会議出席状況が参院事務局資料から明らかになりました。日本共産党議員がいる七選挙区についてみると日本共産党は全議員が出席率100%だったのにたいし、自民、公明、民主各党所属議員で全出席はゼロ。出席率16%の民主党議員もいました。通常国会中の参院本会議は三十一回。首相の施政方針演説とそれに対する代表質問や予算案、有事法制、年金改悪法など審議・採決がありました。
日本共産党議員が選出されているのは埼玉、東京、神奈川、愛知、京都、大阪、兵庫の七選挙区。共産党議員は全員(今期で勇退の二議員を含む)が、出席率100%だったのに対して、他党で最も多い議員でも出席率74・2%でした。目を引くのは愛知選挙区の民主党の二議員。木俣佳丈議員は出席率16%。佐藤泰介議員も出席率は26%でした。

京都選挙区の民主党・福山哲郎議員も三回に二回は出ない“常習欠席”議員の一人です。公明党の山下栄一議員(大阪選挙区)の場合、ほぼ半分の十四回を欠席しています。衆参両院の本会議は「各議院の意思は本会議の議決によって最終的に決せられるのであって、その意味においては本会議の果たす役割は決定的なもの」(『国会事典』浅野一郎編著)です。自民、民主、公明各党の議員は選挙戦で「引き続き国会に議席を与えていただきたい」と訴えていますが、重要な本会議に多く欠席していた責任を有権者にどう説明するのでしょうか。

* * * * * * * 一頃、居眠り議員が問題になりました。それがこともあろうに「欠席」とはいかがなものでしょう。3回に2回、4回に3回が欠席・・・国民はみんな働いて始めて“お給料”を頂いている。それが常識だと私は思っておりました。ところが、働かなくても高いお給料を頂いていて、年金の保険料まで出してもらっていたり・・それが人生いろいろだと言って開き直る方がこの国の総理大臣です。そして、大切な法案目白押しの先の国会で、せっかく有権者から信任してもらって当選したのに、出ていない議員がいる・・・・給料や特権だけはちゃんと貰っておきながら・・私たちの代表が、こんな人たちで良いのでしょうか????・・さまざまな意見を聞き入れ、主張すべきは主張して、この国の最善の舵取りを全国民から託されていながら・・「欠席」。我々を舐めて掛かっているとしか云い様がありません。

『自衛隊派遣に賛意を表明した日吉町議会』(2003/12・17)・・・・・/塩貝文明(43)[町内]−
先日ニュース番組を見ていると、「日吉町議会が賛成した」と報じた。早計と言うべきか、軽薄と言うべきか・・・。町政に係る諸問題について、議論・評決を託した覚えはあるが、こと国政に関し、町民の総意であるかのような今回の表明を、意識調査も無しに行なっても良いと議会・議員に委託した覚えは微塵も無い。[議会の意思表示]というものが、彼等が町民の代弁者であるということで、そのまま町民全体の意志のように映ってしまうということを、一体どれほどの方が認識しているのか・・・常識外れもはなはだしい。

そもそも今回のイラク戦争というもの、「内政干渉」「言い掛かり」と「殴り込み」を主権国家に対して行なったのだ。例えて言うならば、強盗・殺人事件が隣家に起こったが、犯人がなかなか見当たらず、業を煮やしたそこの家族のものが、突然「あなたの家に、犯人が潜伏しているに違いない」といって怒鳴り込んで来たようなものだ。犯人を匿い、おまけに道具まで貸し与えていると言うのだ。無実を証明する間も無く、警察による捜査結果を待つ時間も与えないで、「犯人を引き渡せ、さもなくば・・」と言ってきたら。こんな理不尽なことが有るだろうか。

驚いて返事も出来ずにいる所へ、「匿っているお前達も共犯だ」と言って猟銃片手に上がり込んできて、あろうことか、事件に何の関係も無い家族が撃殺されたら・・。あなたならどうしますか。暫らくして、この短絡的な行動を面白可笑しく見ていた人間や、黙って見ていた隣近所の人達までもが散々に引っ掻き回し、「あなたの家の復興支援だ」と乗り込んできて、残された家族の意見も聞かず、てんでに家を改築しだしたら・・・それも、「造ってやっているのだ」と言いながら、思い出の品々は焼き払われ、和やかに過ごしてきた空間はベニヤ板張りの洋間ばかりに。表札(大統領)は書き換えられ、農地(油田)も差し押さえ。・・反発が起きても何の不思議も無い。

この反発のエネルギーこそが、蔓延るテロの動力になってると私は思うのだ。言い掛かりを付け、土足で踏み込んできた連中はもとより、こんな理不尽な行動が正当であると支持してきたまわりの連中にも鉾先が向けられるのは、人間の感情として何の不思議も無い。いくら日本が「復興支援」を掲げても「人道援助」を叫んでも、一般国民までが犠牲になる<武力攻撃>を仕掛けた米国を“支持”したことに変わりはなく、彼等の眼には、同じ“敵”と映るはず。米軍の迷彩色の軍服の、裾からちょろちょろ見え隠れしている腰巾着に違いない。

日本の大使や、一等書記官を死に至らしめたのは、他ならぬこの国の姿勢だ。何主張することなく、ただただ米国に盲従しているこの国の姿勢だ。小泉首相は、憲法の前文を読み上げ、「自国のことのみに専念してはならないのであって・・・」と強調した。しかし<自国のことのみに専念>しているのは国益を最重視して行動する米国と、9.11テロの総ての原因をアフガニスタン・イラクに擦り付け、自政権の延命を企ろうとするブッシュ。彼等との関係だけが、この国の生命線であるかのように行動するこの国の政府では無いだろうか。

大量破壊兵器を探し出すために、大量破壊兵器でイラク国民の生活を潰し、テロリストを撲滅するためだと言いながら、結局は、かつての「満州」のように傀儡政権を樹立し、そこに眠る地下資源の分配のお零れに預かろうとする各国の思惑が垣間見える。武器を携えた自衛隊を派遣し、まかり間違えば住民を犠牲にした武力衝突・・・これ以上傷を広げてはいけない。武力でイラク国民を押え込んだ一方通行の「人道支援」より、現場での復興はイラク国民に委ね、これを住民の収入源となるように外部からの資金・物資の支援を行ない、更に必要と有ればさまざまな技術者による人的支援を行なう。この方が、彼等自身受け入れやすいだろうし、派遣された現地での我々の活動も彼等自身が守ってくれる形になるのではないか。

押え込み排除することよりも、彼等一人ひとりの心を掴む努力をすることの方が、遥かに有効だ。「国益」に支配される同盟国の軍事行動よりも、あらゆる国と地域住民の利益を代表する国連の主導に切り替え、憎悪の無い「冷静な判断による復興支援」こそが必要なのだ。

『合併問題に思う』(2003/05・19)・・・・・/塩貝文明(42)[町内]−
例えば、学校からはチャイムが聞こえ、お昼の音楽や放送の声、児童・生徒のはしゃぐ声が町中に響く。ときには疎ましく感じる事があるかも知れない。しかし、親たちは、ひとつひとつの放送にわが子を重ね、学校での様子を想い巡らせるのだ。共働きが多い現在、「毎日」とはいくまいが、こんな事も大切なことではあるまいか。もし何か有れば、すぐに駆けつけることも出来る・・・車やバイクが無くてもだ。学校の前がメインストリートで、地域の生活の要がある。そして大人達が子供たちの顔を知っている。子供たちの方でも大人達を知っていて、生きる手段、多様な職業を、普段顔を合わせている大人達から学び取ることが出来る。親だけでなく地域から叱られ、励まされ、勇気づけられて、『育てる』という形を地域が作ってきた。行き帰りの道端に繁る草花や飛び交う虫たちは何も教えてくれないのだろうか? 否、スクールバスダイヤに急き立てられて親や教師と話しも出来ず、地域の大人たちとさえろくに顔も合わさなくなった社会が、子供達にいったい何を教えてくれるのだろうか。これが、今度の「市町村合併」にも当てはまるような気がする。愛想が悪くても、仕事が遅くても、電話の取り次ぎひとつとってみても要領の悪いこの町ではあるが、相談に行けば、こちらが誰で、何処の話をしているのか理解している職員がすぐに出てくる。電話のたらい回しは気に入らないが、およそ地域の実状を把握している人間がそこに居る。合併で、町の端から端まで行った事も無いような職員が増えたら、そんな事は望めない。旧自治体毎に支所を設けるという話もあるが、これでは二重三重に経済的な住民負担が重くなり、逆に中枢部分だけを持っていかれた辺境の支所ではサービスを限定され「ここでは判らないから本所へ行ってくれ」という声が飛んでくる事ぐらい想像に難くない。第一、何の為の『合併』か。

『選挙を前に』(2003/11・04)・・・・・/塩貝文明(43)[町内]−
長い不況が続きます。私はインターネットを使って「展覧会情報」など発信しています。協力してくれる仲間は居ますが、ほとんど一人で取材を重ね、毎週末には京都を駆け巡り、続く編集とアップロードに、最近では自分の作品の制作時間さえ殆ど注込んでいます。「何とかしたい」と思えばこそです。非常勤でご厄介になっているところはございますが、“今の状況から脱したい。”“なんとか仕事として確立させたい”と思うあまりの悪あがき・・。加えて、同じ状況の人たちと共に活路を見出したい。・・・なかなか容易くはございません。しかし、出来ることから積み上げていく以外、方法はないものと自分自身に言い聞かせ、割り切り、どうやら3年近くも掛かってしまいましたが、「こんなホームページ作ってるんや」と人様に言えるようになりました。・・・まだまだ稚拙ではありますが・・。

やっとやっとこんな状況ですから生活はどん底です。エゴとエゴに踏み潰される様に職場から追い出され、その後いろんな職には就きましたが、どこも不景気で、坂道を転がるように仕事が減っていき、いつのまにかまた振り出しに立たされている。その繰り返し。人様の袖にシガミツクことばかり考えていては駄目だと思い至った時、「IT産業」が右肩上がりの快進撃をしておりました。有り金はたいてパソコン教室の門を叩き、後はせっせと、ご覧のページを日々更新し、拡大し、整備し・・・。

結果は、<うまい話は有っても、うまい「現実」はそうそうは無い。> そう改めて思い知らされました。「右上がり」なのはホームページを運営する人間ではなくて、パソコンや周辺機器を売りつける人たちなのだと、今ごろ気が付くような人間が儲かる筈がありません。これまでのどん底の10年間は、まだまだ続きそうです。しかし、こんなどん底だからこそ見えてくるものがあると思います。散々な今のこの国に、丸裸で放り出されているからこそ感じられることが有ると、私は思います。・・・・・今の政治は駄目です。

作家というものは、作品を作らなければ話になりません。作っても売れなければ生きていけない。その間、いろんな仕事を片手に持ちながらぎりぎりのところで制作している。そういう人が大半です。しかし、文化の最先端を担うこれらの人たちの生きる場所がどんどん無くなっている。「片手間で仕事をしている人間なんか要らない」何処もはっきりそうおっしゃいます。しかし、人間社会は彼等を「要らない」のでしょうか?・・・・否。かつてヘンテコリンな物体を社会に送り出したピカソやシャガールやダリやミロ・・・・のメッセージに、人類はどれほど励まされてきたでしょうか。新しい感覚と発見に、根底から揺さぶられた方は結構多いと思います。そして、彼らのような人間がこの先出て来ないとは、誰も断言できません。

しかし、今の日本で、彼等を支える余地は無に等しい。何処も彼処も、経済的にも精神的にも余裕が全く無い。つまるところ、この国の社会全体に潤いが無くなってきているのです。だれも、ただで飯を食わせてくれという作家はいないのですが・・・。

小泉さんは「改革、改革・・」とおっしゃるが、「だから改革だ」とおっしゃるが、改革して何処へ行こうとおっしゃるのでしょうか。この2年余り、私にとっては失望させられる事ばかりでした。皆さんはどうでしょう?・・・まず「リストラの奨励」でしょうか。再構築と読めば何かすばらしい事のようですが、結局は<バブルではしゃいだ>方たちが、<はじけた>ときの損失をどうして補おうかということに他なりません。責任の無い一般会社員を切り捨てて「景気が好くなって来ています・・。」とは、会社の中の単に経理上の話であって、はじき出された国民全体の生活はどんどん悪化しています。

自殺者が、毎年3万人を遥かに越えても、何か手だてを打たれましたか?・・、5年間この水準が続いたそうです。広島・長崎の原爆に匹敵しませんか?・・それでものうのうと、ご自分たちの成果をアピールしていらっしゃる。消費税は、3%で初めて出てきた時、「福祉目的税だ」と言われました。当時の加藤税制会長もそうおっしゃっている。続いて「介護保険」が出てきました。あれ・・・“福祉目的税は?”とお感じになった方多いと思います。「高齢化社会に対応するために仕方ないんだ」という説明でした。5%に引き上げられる時にも同じ説明がなされました。しかし、その後出てきた事実は、“福祉目的”と言いながら、消費税が福祉目的に使われてこなかったと言うことです。消費税で得た分の予算とほぼ同額が、法人税減税に当てられていたという事実です。

そしてまた選挙が近付くにあたって「福祉目的に使おう」と言っている。じゃぁこれまで、どん底で、低所得であえいでいる人間も同等に支払ってきた消費税は、いったい何処へ行ったんだと言うことになりはしませんか?・・・結局彼らの言い分は、「企業(法人)の経営を下支えしなければ・・」ということですが、大きいところほど恩恵を受ける“法人税の減免”という方法で、みんなのゆとりが皆そこへ吸い取られていってしまっている。そして、一般社員は“リストラ”に追い詰められる。・・・これが「改革だ」と言って進められている。

企業というものはみな「個人」のものですよねぇ。収益は、内部の人たちで分配するのですから。その分配方法も「個人」が決めるんですよねぇ。今まで会社の為にと頑張ってきたのが、ある日突然辞めさせられるのも、一部の「個人」の所有物であるがゆえですよねぇ。そこへ、国民全員から「福祉目的」だと言って搾り取った税金が注ぎ込まれる。その税金は、一部の人間によって“分配”されるのです。何もしないでも、その一部の「個人」・・・「会社の所有者」は、巨万の利益を得ることができる。そういう仕組みにしているのが今の政府だと私は思います。一方では過労死寸前まで働いているのにですよ。

私たちが「改革して欲しい」と願ったのは、支払った税金が生かされる社会を創って欲しいということだったと理解しています。しかし、「消費税」の運用問題どころか、例えば道路公団のこれまでの疑惑を解明して欲しいと願っても、どうやらやりそうも無い。議員や官僚の不正も、一向に改まりそうに無い。これのどこが「改革」なのか、一向に私には判りません。「自民党をぶっ潰してでも・・」と絶叫した小泉さんの「改革」が誰のためのものなのか・・これまで自民党がやりたくてやりたくて仕方なかったことを一目散に突き進めているような・・・少なくとも私たち一般の国民のためでは無いようです。とうとう、「消費税」の、これまで納入を免除されていた業者が、収益3000万から1000万に引き下げられました。事実上の増税です。消費者が支払っているのに免除される業者がいたというのも、この制度の大きな不思議のひとつですが、その分、消費者に還元されていたであろうサービスは完全に打ち切られ、政府によって吸い上げられるカタチになったのです。

そんな彼等が、今度は憲法を弄るんだと言っていますが、彼らの標的の9条を変えれば、徴兵制度は目の前です。「何処へ送り込まれるか解らない自衛隊」への志願者は益々少なくなるでしょう。その補充のため、「・・・皆が汗を流し、血を流している時に、日本だけが・・・・」と言ってくるのでしょうが、皆が汗や血を流してるわけでは無いでしょ。先の大戦の時にも、特権を盾に、公然と「免除」された人たちは沢山いました。ゆとりを全部搾り取られて、要らなくなったら使い捨て、今度は命までも持っていかれる。大切に育ててきた命が一部の指導者の采配によって持っていかれてしまう。あなたも私も、あなたの家族も私の家族も「特権」を持たない限り例外ではありません。そんな国が良い筈が無い。

それに、これまで「戦争」「武力行使」という手段で解決した紛争や国際問題が有りましたか? ・・あれほど強大な軍隊を持ち、科学水準の高いアメリカでも、テロや犯罪、「停電」や「山火事」さえ防げない。つまり、力の使いどころが間違っている。「テロ」にはテロを引き起こさせる土壌があり、紛争には紛争を引き起こす原因がある。そして、アメリカが9・11には標的になりましたが、標的にされるだけの、これまで長い間アメリカがとってきた政策や諸外国、地域との関わりがあると私は思います。そのアメリカと同じ事をして「テロ」に巻き込まれない筈が無い。・・・貧困や文盲など、根本的な解決を図らない限り、決して全世界に平和が訪れることはない・・・私はそう思います。それを、大砲、ミサイル抱えて出ていったのでは、結果は見えてるじゃないですか。それでも、国民を危険にさらしてもアメリカ政府と共同歩調を取るんだという小泉さんや公明、保守を、あなたは支持出来ますか。

北朝鮮の問題でも、日本の姿勢に起因するところが大きいと思います。「石原発言」で大きな顰蹙を買いましたが、確かに利権に絡んで、当時の日本になびいた人間も居たでしょうが、被害をこうむった多くの人たちを放置してきた歴史が有ります。特に北朝鮮は置き去りにしてきた。「拉致」はとんでもないことですが、これまで「拉致問題」を見捨ててきた政府の責任なども十分に見つめ直さなければならないと思います。そして、この国にも多くの朝鮮・韓国の人たちが住んでいらっしゃるのですが、政府どうしが頭ごなしに遣り合うばかりではなく、この東アジアに住む人たちの心に訴えるような政策を、まず日本から執って行かない限り、両国の傷もわだかまりも決して埋まらない。ひいては北朝鮮政府による犯罪的行為も解決しないでしょう。

ところが今の政府を見ていると、国内で声高に叫んではいるが、完全に行き詰まっている。かの国の民に、どれほどこちらの気持ちが届いているのでしょう? それを、人心を煽り立てて政権取りのパフォーマンスに利用して、おまけに憲法まで変えてしまえとは、いささか虫がよすぎる。皆さんそうお思いになりませんか。今の憲法を持つ日本だから出来ること・・・これを少しもやらないで、ODAだ海外支援だといって、結局は利権に絡んだことばかりで諸外国を踏みつけて、われわれの税金を無駄にしている人たち、立場を利用して公的資金を着服する人たちに、今度こそ鉄槌を下すチャンスです。そして、今度の選挙が大きな分かれ目だと思うのです。

みんさん「裸の王様」ご存知でしょう。私は、小泉さんや公明、保守の人たちは、あの「服の仕立て屋」に思えてなりません。“改革”という目に見えない服を国民に着せ(着た心算にさせ)、「すばらしい」「かっこいい」と絶賛している服の仕立て屋。身包み剥がされて、命まで奪われてから気が付いたのでは取り返しが付かない・・・そう思います。